地元・吉之元町(よしのもとちょう)を元気に! 作陶、そして町おこしにも尽力する 「都城焼 太郎窯」|宮崎県都城市ふるさと納税特設サイト

地元・吉之元町(よしのもとちょう)を元気に! 作陶、そして町おこしにも尽力する 「都城焼 太郎窯」

 明治時代に入るまで、薩摩藩・島津家の城下町だった都城市。領地にはいくつかの藩窯も置かれ、薩摩焼の影響を受けた温雅な焼き物がつくられていました。そんな伝統を今に受け継ぐのが岩﨑真一さん・規子さんご夫妻が手がける「太郎窯」。高千穂峰(たかちほのみね)の麓に広がる吉之元町の窯元で、お二人は今日も仲良く作陶に励んでいます。また、ご夫妻は幅広い作風を手がける陶芸家としての活動以外に、地元の街おこしにも尽力しています。群馬出身の岩崎さんが、なぜこの地に窯を構え、地域の活動を積極的に行うようになったのか?その軌跡を伺ってみました。

 

障害者施設での粘土遊びを
きっかけに、陶芸家の道へ

 「実は私、とある新聞記事を読んで、千葉から宮崎へと移住してきたんです」と岩﨑さん。重度の障がいをもったお嬢さんの楽園をつくろうと、日南の山を買って開墾し、自ら障害者施設をつくった両親の奮闘記を読み、感動した岩﨑さんは「ぜひ、その施設で働きたい!」と迷うことなく宮崎にやってきました。その職場で都城市出身の規子さんと出会い、二人は療育の一環として粘土遊びが取り入れられたことを機に、陶芸に興味を持つように。「人は土を触ると、集中力を高めることができたり、癒されたりする。不思議ですよね」。その後、独学で陶芸をはじめた岩﨑さん。縁あって〈都城焼窯元〉を手がける会社の社長と出会い、この道に進もうと転職しました。「〈都城焼〉は薩摩焼の影響が色濃いんです。辰砂(しんしゃ)という釉薬を使い、赤い文様が入っているのが〈都城焼〉の特徴なんですよ。都城焼窯元では陶芸の基礎を学び、その後独立しました」。

 昨年、社長が急逝。会社を閉窯することになったため、岩﨑さんは社長夫人から秘伝の釉薬や〈都城焼〉と書かれた包装紙まで託されたそう。「これからは自分の作風を追求すると同時に、都城焼の伝統も守っていかなければ!と思いましたね」。

 

高千穂峰に導かれるように
都城市・吉之町へ移住

 陶芸家としての独立を決意し、窯を開く場所を探していた頃、吉之元町で高千穂峰を見たことが、岩﨑さんの移住を決定づけました。「私は県外者だったので、正直、宮崎県内ならどこでもよかったんです。延岡あたりまで物件を見に行ったりしていたんですよ。でも、この町にきて、とある場所から高千穂峰を見た時、 “なんていいところなんだ!”と強く惹かれたんです」。吉之元町への移住の決め手となった“決意の場所”は窯から程近い広々とした空き地(写真)。空が広く、緑濃い林の向こうに、雄大な高千穂峰が鎮座しています。この景色は確かに圧巻!「私は都城市出身なので、高千穂峰が見えるのは当たり前だと思っていましたが、夫はこの景色を見て “君がここで生まれ育ったことは本当に幸せなことだよ”と言ったんです。改めてその価値に気付かされました」と規子さん。高千穂峰に抱かれた里山で、お二人は開窯。真一さんが轆轤(ろくろ)をひき、規子さんも作陶や絵付けを担当。二人三脚で作陶に勤しんでいます。

 

施設での経験を活かして生まれた
ユニバーサルデザインの器「花子窯」

 ところで、岩﨑さんの名は“真一”。なぜ「太郎窯」という名前なのでしょう?と疑問が…。「実は、うちにはもうひとつのブランド〈花子窯〉があるんです。開窯当時から、誰からも親しまれ、覚えてもらえる名前〈太郎と花子〉で2ブランドをつくると決めていました」。「太郎窯」が自分たちの作風を追求するのに対し、「花子窯」は障がい者のための介護食器を展開しています。「施設で食事介助をしていた頃、食器を工夫すれば、障がい者がひとりで食べることができたり、介助者にとっても助かる状況が生まれるんじゃないかと思ったので、ユニバーサルデザインの器をつくりはじめました。障がいの状態はひとりひとり違うので、すべてオーダーメイド。最初は無料で差し上げていたのですが、ご家族がお礼を準備されるなど気を遣われるので、材料費として1個500円いただいています」。スプーンで最後の一口まですくいやすいお皿や、両手で持てるようハンドルが2箇所ついたカップなど、施設で働いた実体験があるからこそつくれる器は好評です。

 

可能性は未知数。高齢化が進む
吉之元町を活性化したい!

 また、ここ数年、岩﨑さんが取り組んでいるのが「木の葉天目茶碗」です。茶碗の底に木の葉の葉脈が映し出された珍しいもので、これを成功させるのは至難の技なのだそう。「数え切れないほど焼いて、やっとつくれるようになってきましたが、未だに技法が完成していません。何十個焼いて、1個成功すればいいくらい」。繊細な葉脈の美しさが光る「木の葉天目茶碗」。木の葉と土、釉薬、火の条件がすべてひとつになった時に生まれる逸品です。

 移住から約17年。岩﨑さんはすっかり地元に溶け込み、地区の運営委員長として、町の活性化に尽力しています。「この町には観光地として人気の〈高千穂牧場〉や〈霧島たまご牧場〉、素敵な乗馬クラブ〈サウスヒルステーブル〉、行列ができる蕎麦店〈がまこう庵〉など、魅力的なスポットがたくさんあります。しかし、高齢化は進むばかり。もっと若い人や、モノづくりをする人たちが住んでくれるといいのですが」。

 町の魅力を伝えるべく、平成8年からスタートしたのが「吉之元よかとこ発見塾」です。月に一度、地区の人々が集まり、地元の食材を使った村おこしランチを元公民館で提供してきました。「現在コロナで中断していて、これから先どうなるかわかりませんが、これからもさまざまな企画を考えて、この町を元気にしていきたいですね」。情熱を持って作陶に、町おこしに取り組む岩﨑さんと話していると、吉之元町の明るい未来が感じられました。

 

 

<編集部コメント>

市街地から車で30分ほどの吉之元町はのどかな町。花鳥風月の美しさが感じられる暮らしは、モノづくりをしたい方には最適かもしれません。それにしても、岩﨑さんの「決意の場所」から見る高千穂峰は見事でした。(N)

 

岩﨑さんご夫妻は高齢者施設でも陶芸を伝えています。「指先で粘土を丸めたり、触ったりするだけでも脳にいいらしいんです」。

 

暖簾がかかっているのが店舗、右側の建物がアトリエ

 

「木の葉天目」に使う木の葉は葉脈が太く、強いものが適している

 

25年前に岩﨑さんがつくったロングセラー商品「箸置き小鉢」

 

奥様・規子さん作のプレート。お料理が映えそう!

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