事業拡大から社会貢献まで即断即決!即実行!人の縁を大切に発展し続ける「株式会社 原田繊維」|宮崎県都城市ふるさと納税特設サイト

事業拡大から社会貢献まで即断即決!即実行!人の縁を大切に発展し続ける「株式会社 原田繊維」

 都城市で様々なアパレルの縫製を行っている「株式会社 原田繊維」(以下:原田繊維)。代表取締役の原田裕三さん(写真右)は、なんと20歳で社長に就任。その後、中国やベトナムにも工場を広げ、事業を拡大してきました。現在は世界各国と日本をつなぐ人材支援事業にも携わるほか、宮崎名物「肉巻きおにぎり」の販売も行なうなど多彩な事業を展開。コロナ禍ではマスクや医療用の不織布ガウンの生産に尽力。東日本大震災の際もいち早く現地にかけつけ、熱々の肉巻きおにぎりを被災者に提供するなど、社会貢献活動にも積極的に参加しています。「仕事はすべて人との縁。感謝の気持ちを忘れず “常に謙虚でいること” です。あとは “運と度胸とタイミング” かな。」と原田さん。その人生やビジネス哲学について伺いました。

 

20歳で社長に就任
多額の負債を返済し、海外にも進出!

 大阪で生まれ育った原田さん。「思春期は色々やんちゃなこともしましたよ。でも、14歳の時に松下幸之助の著書〈道をひらく〉を読み、“謙虚” ってなんてカッコいいんだ!自分は一生謙虚でいようと決意したんです。」高校時代の夏休みには「将来はアメリカで綿菓子屋になる!」と大志を抱き、英語も喋れぬまま家出同然で単身渡米。「アメリカには綿菓子がないと思い込んで、一旗あげようと乗り込んだのですが、現地で数ヶ月経った頃、小さな女の子が綿菓子を持って店から出てきた。ふと見上げると看板には “Cotton Candy(綿菓子)”の文字。後で知ったのですが、綿菓子って戦後アメリカから日本に上陸したお菓子だったんですよ。(笑)」こうして、夢破れて帰国。卒業後は都城でお父様が営んでいた縫製工場を手伝うようになりました。

 しかし当時、工場は火の車!「父は職人気質で誰よりもミシンを踏んで働く人でした。でも、どんなにがんばっても人の5倍は縫えない。だったら経営に徹して生産効率を上げた方がいいんじゃないかと提案したら〈じゃあお前がやってみろ〉と引き継ぐことになりました。」若干20歳で社長に就任した後は、経営手腕を発揮し、わずか5年足らずで負債を返済。そこからは中国やベトナムにも進出。最大7カ所、5,200人の従業員を抱えるまでに成長しました。「大手の子ども服ブランドはほとんど手掛けていました。とにかく納期と品質だけは守って、信用されるように努めました。しかし、海外に拠点を置くと為替や政情変動のリスクも大きい。結局、ほとんどの工場は閉めました。」現在は韓国のみに拠点を残し、主に都城で生産を行っています。

 

海外実習生を日本へ
日本人をワーキングホリデーで海外へ
人材派遣業で多忙な日々

 原田さんは縫製部門をスタッフに任せ、外国人技能実習生を派遣する仕事に従事しています。「海外で工場をやっていた頃、海外からの技能実習生を派遣する団体の方と知り合い〈南九州にうちの実習生たちを派遣できていないので、ぜひ手伝ってほしい!〉と言われてお手伝いするようになりました。国内外を飛び回る日々で、コロナ前の2019年は飛行機に143回も乗りました。(笑)」

 現在は、ワーキングホリデーを活用して海外で働きたい日本人を海外に送り出す仕事もスタート。今年はオーストラリア・ブリスベンにも事務所を設ける予定です。「海外で働きたい日本人は確実に増えています。しかし、現地の受け入れ先はどうやって手続きをすればいいのかもわからないところも多い。その両者をつなぐことができたらと。」これからも原田さんの多忙な日々は続いていきそうです。

 

コロナ禍でいち早くマスク製造をスタート
工場をストップせず、雇用を守る

 子ども服で業績を伸ばしてきた「原田繊維」でしたが、少子高齢化に伴い、徐々に高齢者のための洋服づくりにシフト。それが順調に推移していった頃、新型コロナウイルスが日本に上陸しました。「高齢者が外出しなくなり、服が売れなくなりました。それと同時にうちが外国人実習生を派遣していた介護施設などから〈マスクをつくって!〉と依頼が殺到!これはなんとかせねばと、すぐにマスクの製造をスタートし、大手流通さんの厳しい審査にも合格し、マスクを全国に届けることができました。それが落ち着いた頃、厚生労働省から医療用不織布ガウンの発注があり、休む暇なく工場を稼働してきました。多忙な日々でしたが雇用を守れたことは本当に良かった。」

 「原田繊維」のマスクは綿100%のTシャツ生地を使っていてつけ心地がよく、抗菌・防臭・制菌加工も施されています。好評につき現在も生産され続けており、都城市ふるさと納税返礼品として提供されています。

 

未曾有の災害を受けた被災地へ
あたたかい肉巻きおにぎりを届ける

 ところで、なぜ縫製会社である「原田繊維」が肉巻きおにぎりを販売しているのでしょう?「友達から〈つくってみたいけど販売先ないかな?〉って相談されて、じゃあうちが販路開拓するよ!と引き受けました。」常に決断が早い原田さん。肉巻きおにぎりがブームになり始めていた頃、27台のキッチンカーをつくり、関東を中心にイベントやスーパーマーケット前などに出店。大人気となりました。

 2011年の東日本大震災の際は、ニュースを聞くと同時にキッチンカーを現地へ派遣。1800万円分のおにぎりを提供。「温かい肉巻きおにぎりは喜ばれ、長蛇の列ができました。B級グルメのキッチンカーとしてはうちが一番早く現地入りできたと思います。」社内には被災地から贈られた感謝状が飾られています。

 「今までいろんな事業を展開してきましたが、いつもなんとかなるだろう!と思ってきました。常に忘れなかったのは〈一度始めたら成功するまで諦めないという信念を持ち続けること〉うまくいかない時もありますが、時期ややり方を変えてみたら、案外うまく進むんです。あと、とにかく人との出会いを大切にして、人の意見に耳を傾けること。ワンマンになったら、自分の力量以上の成長はない。決断は自分でするしかないけれど、経営判断のための意見を〈聞く〉姿勢は持ち続けたいですね。」2022年、丸一日休んだのは1日だけだったという原田さん。大好きな都城に軸足を置きつつ、きっと今日も世界を東奔西走していることでしょう。

 

 

<編集部コメント>

無謀と思えるほどの純粋さと度胸、そして人との出会いを大切にビジネスを切り拓いてきた原田さんの人生のお話はまるでドラマのようでした。これから先、どんな冒険が続いていくのか、この話の続きがまた聞きたいです。(N)

 

原田さんと30年以上共に歩んできた取締役工場長の櫻井貴良さん。「社長はまかせた仕事には口を出さない人。その分プレッシャーはありますけど(笑)。私の父の出身地が宮城だったので、震災時、被災地に駆けつけたい!と社長に言ったら〈じゃあ、会社で行こう!〉と即決してくれました。本当に感謝しています。」

 

宮崎県産の豚肉とお米を使った「宮崎肉巻きおにぎり!」。電子レンジや湯煎で温めるだけで、自宅で美味しい肉巻きおにぎりが完成。

 

依頼すればイベントなどにも出張してくれる。いつも大行列!

 

有名ブランドのウエアの縫製も担当。創業当時から働くスタッフもいる。

他のレポートを見る