16歳で描いた人生プランにコミット。10周年を機に、熱い魂で都城から世界に挑む「株式会社北諸」|宮崎県都城市ふるさと納税特設サイト

16歳で描いた人生プランにコミット。10周年を機に、熱い魂で都城から世界に挑む「株式会社北諸」

 ホームページのトップページに出てくるのは「都城から世界へ」の文字。「株式会社北諸(きたもろ)」(以下:北諸)代表取締役社長・戸越貴大(とごえ たかひろ)さんは、16歳の時に飲食の道に入ると決意し「25歳までに自分の店を持つ。35歳までに海外に進出」と、自分にも周囲にも宣言して生きてきました。そして、その宣言通り24歳で都城市志比田(しびた)町に「お箸処北諸」を開業。看板メニュー「宮崎牛ひつまぶし定食」がブームを巻き起こしました。以降、隣町の「三股店」、JR宮崎駅ビルの「アミュプラザみやざき店」を出店するなど、快進撃を続けてきた「北諸」。開店から10年を迎えた今年「35歳までに海外に進出」という夢に挑戦しようとしています。常にぶれず、真っ直ぐに自分の夢に突き進んできた戸越さん。その生き方を伺った取材はワクワクの連続でした。

 

釣りプロになるのを諦め、調理の道へ。
過酷な修業時代を過ごす

魚釣りが好きだった戸越少年。中学生の時、高校進学はせず“釣りプロ”になりたいと思っていましたが、ご両親は大反対!気持ちを切り替えて高校の調理科へ進みました。

戸越さん:釣った魚を捌いて周囲に食べさせるのも好きだったんです。でも、料理の道に入ると決めた時から『25歳までに独立する』と周囲に宣言していました。

卒業後は高校の紹介で全国チェーンのハンバーグ店に就職して名古屋市に赴任したものの、「やっぱり和食を学びたい!」とバッグひとつで有名大型和食店へ転職。1日16時間労働、給料10万円、休みは月に1日だけという過酷な日々を過ごしました。

戸越さん:そこで3年間働き、魚の仕入れも担当するようになった頃、魚市場で出会った寿司屋の大将から“うちで働いてみないか”と声をかけてもらいました。もともと魚を極めたいという気持ちもあったので二度目の転職に踏み切りました。

この転職が、戸越さんの料理人人生を大きく変えることとなりました。

 

お客様の「うまいっ!」に衝撃を受け
料理人としての原点に目覚める

寿司店に転職した初日、戸越さんは大将が握る寿司に「うまいっ!」と唸る常連客の姿を見て衝撃を受けます。

戸越さん:お客様に喜んでもらうために料理人が料理をつくるのは当然です。しかし、当時の自分はそこがわかってなかった。和食店時代は上司に叱られないよう言われた通りに料理をつくることに必死で、料理を食べたお客様がどう感じるかなんて考えたこともなかったんです。でも、その「うまいっ!」の一言を聞いた時、身体に電気が走りました。料理人として一番大切なことに気づかされたような気がして “これからはお客様ファーストの仕事をする!”と決めました。

多くのお客様にも可愛がられ、順調な料理人人生を送っていた戸越さん。しかし、昔から掲げていた「25歳までに独立」という夢も決して忘れてはいませんでした。

戸越さん:名古屋で店を出そうかと考えていたんですが、都城に帰省した際に祖父から“帰ってきてほしい”と言われまして、それなら都会で学んだことを地元に持ち帰って勝負しよう!とUターンを決めました。

こうして戸越さんは公約を守り、25歳になる1ヶ月前に「お箸処北諸」を開店しました。

 

意気揚々と開店したものの大失敗!
コロナを機に起死回生を図る

意気揚々と都城で店を開いた戸越さんでしたが、思惑は外れ、客足に恵まれない日が続きました。

戸越さん:名古屋の感覚をひきずったまま、昼夜コースだけを提供する高級店にしてしまったのが間違いでした。“ここは都城!いかに安くて美味しいものを提供できるかも料理人の腕次第”と考えを改め、徐々に料理を変えていったところお客様が来てくれるようになりました。

ちょうどその頃、宮崎牛に口蹄疫が広がるという事態が発生。

戸越さん:風評被害で肉の行き場がなくなり、取引先が困っていたので、うちでなんとかしよう!と始めたのが“宮崎牛ひつまぶし定食”でした。

A5・A4ランクの宮崎牛をふんだんに使ったこの定食は一時は予約半年待ちになるほど、大人気となりました。

 

多忙な時期、武者修行を終えた
強力助っ人現れる!

ちょうどその頃、店に加わったのが現専務取締役の牛原優佑さんです(写真下)。牛原さんと戸越さんは名古屋時代の友人。柔道の道に進むべく大学に進学したものの、夢破れた牛原さんの面倒をひとつ年上の戸越さんが見るという関係性でした。

牛原さん:昔から社長の夢を聞いていたので“大学卒業後は「北諸」を手伝いたい!”と伝えたのですが、社長からは“せっかく大学まで卒業したんだから、一度は自分がやりたいことに挑戦すべき”と断られました(笑)。でも、自分の中ではこの人と一緒に働きたい!という思いが消えなかったんです。だからといって自分に何ができるかと言えば、当時の自分は喋るのも苦手で接客もできない…。そこで“武者修行に行くしかない!”と不動産会社に就職し、飛び込み営業を3年やってコミュニケーション力を鍛えました。

3年後、牛原さんは自分の荷物を詰め込んだダンボール箱2個を「お箸処北諸」に送りつけ、押しかけ女房的に都城に突如移住。ちょうど「宮崎牛ひつまぶし定食」が人気となり、人手不足だった戸越さんも牛原さんを迎え入れ、二人三脚の日々がスタートしました。以降、ふたりで苦楽を共にしながら「北諸」は順調に成長を遂げてきました。

 

都城から世界で勝負できる姿を
次世代へ伝えたい
夢に向かって大陸を超える

開業から10年目を迎えた2023年。戸越さんは「35歳で海外進出」という夢に踏み出そうとしています。

戸越さん:釣りプロになる!と言った時、借金を抱えて都城に店を出すと言った時、そして海外に店を出したいと言った時、今まで3回も母に泣かれました。でも、公務員だった父は“俺にはできなかったから、お前は思うようにやってみろ!”と背中を押してくれています。両親には心配をかけてばかりですが、本当に感謝しています。都城市は生まれ育った愛すべき故郷。ここから自分たちが世界でどれだけ勝負できるか挑戦してみたいんです。都城の素晴らしい食材を世界に伝えていきたいし、都城で暮らす子どもたちに“こんな田舎からでも世界に行けるんだ!”ということも見せたいですね。

一歩を踏み出す場所として選んだのはロンドン。都城で提供している料理をそのまま現地に持っていく予定だとか。戸越さんが人生を賭して叶えようとする夢。ロンドン店開店のニュースが飛び込んでくる日が楽しみで仕方ありません。

 

 

<編集部コメント>

超ポジティブ思考で前へ前へと進む戸越さんと、戸越さんを支え、共に夢を追う牛原さん。ここでは書ききれないほど熱い話を聞かせてもらえた90分でした。「創業時の魂を共有できる牛原がそばにいてくれることに感謝している」(戸越さん)、「僕は社長に洗脳されたんです(笑)。でも10年経っても、そしてこれからもそれは解けそうにありません」(牛原さん)。互いのことをそう話すふたりの強固な絆がある限り、「北諸」の未来は果てしなく明るいのでは?そんな予感がします。(N)

 

 

戸越さんの趣味が高じてスタートした新事業部「KITAMORO CAUDEX CLUB」。CAUDEXとは塊根植物(主にマダガスカルや北米・南米・アフリカなどに生息する多肉植物の総称)のことで、生産地から直接仕入れている。三股店には塊根植物のショップスペースが設けられ、植物を眺めながらカウンターで食事を楽しめる。

 

本店には茶室仕様の個室も用意。ちなみに「北諸」という名前は戸越さんの出身地が北諸県郡山田町(現:都城市山田町)だったから。料理の道を目指した時から、この地名を遺したいと社名・店名ともに「北諸」にすると決めていたそう。

 

お店で使われるドレッシングは自家製。都城市産の野菜が使われている。

他のレポートを見る