【都城大弓】弓師を訪ねる 第3回 楠見蔵吉さん「今が“絶対”ではない。常に革新を」|宮崎県都城市ふるさと納税特設サイト

【都城大弓】弓師を訪ねる 第3回 楠見蔵吉さん「今が“絶対”ではない。常に革新を」

 「都城大弓」の伝統工芸士を訪ねるシリーズ、第3回目。今回訪れたのは、都城の弓づくりの祖・楠見蔵吉の伝統を受け継ぐ、「楠見蔵吉弓製作所」七代目・楠見蔵吉さんです。楠見家は、いわゆる“都城大弓の直系”。弓師系譜を辿ると、弓師の道を拓いた初代・堀江善兵衛に続いて、弓づくりの技術を発展させた三代目・堀江(楠見)善治、さらに、善治の息子で多くの弟子を養成し、弓の一大産地への確立に尽力した四代目・楠見蔵吉などが、数々の功績を現代に残しています。

 そんな名跡を継ぐ楠見さんが「都城大弓」の世界に飛び込んだのは23歳の時。以降30余年、時代の変化を柔軟に受け入れ、真摯に理想の弓を模索し続ける弓師・楠見さんの今を追いかけました。

 

「都城大弓」のはじまりを
現代に伝え、体現する楠見家

 「当家の初代である堀江善兵衛は、もともと島津家の武士で弓の名手でした。ところがある日、弓のつくり手になるようにと藩から命が下り、弓師の道へ。それが私たち楠見家のはじまりと聞いています」と、楠見さん。堀江善兵衛は、武士だったことから潤沢に資金があったため、当時も高級だった鹿の皮を溶かしてつくる天然の接着剤・鰾(にべ)をはじめ、弓づくりのあらゆる材料の研究を行っていたといいます。その後、三代目・堀江(楠見)善治の時代に、都城へ来往した前後で堀江から楠見へと姓を変更。「初代から血縁関係は続いてはいますが、三代目で姓が変わった明確な理由は未だわかっていません」とのこと。その後、四代目以降は楠見蔵吉を襲名し、現在に至ります。

 「私は、先代である父・純教(六代目・楠見蔵吉)に弟子入りする以前は、弓づくりに触れる機会はまったくありませんでした。しかし、頭の片隅では『いつか自分も弓づくりの道に』と漠然と考えていたこともあり、跡を継ぐ前提で高校卒業後は東京の受注家具メーカーへ修業に。約4年にわたる経験で培ったモノづくりの基礎、そして機械を扱う技術は、その後弓師としての大切な礎となりました」と、当時を振り返ります。

 

独自に研究開発した
カーボン繊維内蔵の竹弓

 「都城大弓」の構造はおおまかに弓竹(外竹と内竹の2層にわかれる)、弓芯、関板にわかれ、弓竹と弓芯をそれぞれの工程で製作しています。体力的にも大変な作業が多いという弓づくりですが、ここ「楠見蔵吉弓製作所」では先代の時から徐々に機械化を進めていたそうです。「勤めていた受注家具メーカーで身に付けた技術や感覚を頼りに、私の代からはより一層機械化を進めました。竹を機械で削った後に、0.5mm以降の幅寄せは手作業で微調整。竹は自然のものなので、同じ年に収穫しても1本1本に個性がある。張り合わせの工程も一律にプレスできれば機械化も不可能ではないでしょうが、所々にある節にも表情があるため、長い歴史の中で最も適した技法が今に引き継がれているのだと思います」。

 「楠見蔵吉弓製作所」が手がける弓の中でも、ふるさと納税の返礼品である「カーボン内蔵弓」は、幾度となく試行錯誤を重ねて完成した一本です。「取り扱いが難しい竹弓でも、初心者でも引けるものをつくれないかと開発したのが、このカーボン内蔵弓です。当初は竹弓の面から見える部分にカーボン繊維を使っていましたが、反発が強すぎたり、カーボン繊維が剥がれてきたりと開発は難航しました。1年ほどかけて何度も試作を重ねた結果、0.4mmの薄さのカーボン繊維を、同じ薄さに削った内竹側に埋め込み、外竹と弓芯で挟んで接着するという技法に行き着いたんです」。

 純粋な竹弓の難点として挙げられるのが、週に一度など使用頻度が少ないと、“裏反り”が大きくなり、弓の曲線が狂ってしまうこと。しかし、この寸分の狂いなく設計されたカーボン繊維内蔵の竹弓であれば、この“狂い”を抑えることができ、さらに矢飛びもよくなる。よって、メンテナンスも比較的簡単だそうです。「学生の部活でよく用いられるファイバー弓から、腕が上がるにつれて通常は竹弓に変更していきますが、その移行期にこのカーボン内蔵弓は最適です。現在はありがたいことに、初心者の方から玄人の方まで幅広く使っていただけるようになりました」と、楠見さんは語ります。

 

 

ゆるやかな女性的曲線を描く
楠見家こだわりの“姿”

 弓づくりは200以上の工程があるだけに弓師によってこだわりも千差万別です。なかでも、楠見さんが強いこだわりを見せるのは「弓の姿」だといいます。「弓の形のことを私たちは“姿”といいますが、うちの弓の特徴は女性的なゆるやかな曲線。一つとしてまったく同じ素材がない竹だけに、理想とする弓に近づくために、新たな素材や技法など少しでもいいと思ったことは、まず挑戦することにしています。今のやり方が必ずしも絶対ではないですから」。

 「今のやり方が絶対ではない」という考えを仕事の上で大切にしている楠見さん。先人からの伝統を守りつつも、変化を恐れず、“今よりもっと理想的な弓に”という信念に向かって走り続けています。近年も、関板といわれる弓の両端部分に使う代替材料として海外産のローズウッドを採用したばかり。「値段は高価ですが、ポキポキっと折れやすい材質が関板に適しているのではないかと使ってみると、引き味が柔らかく、矢飛びも抜群にいい弓が完成しました。安価か高価か、硬いか柔らかいか、重いか軽いか……と、さまざまな素材の特徴と、弓に採用したときのメリット、デメリットを考えながら理想の弓を模索し続けています」。

 

「都城大弓」を通して
武道の精神を世界へ

 今後の展望を尋ねると、「たくさんあります(笑)」とひと言。加えて、「一番は、この製作所を大きくしたいですね。場所もですが、後進も育てていきたいです」と楠見さん。現在は職人の有馬一樹さんと二人三脚ですべての作業を行なっています。さらに、「まだ気が早いですが、小学生の息子が『僕も弓師になりたい!』と言ってくれ、中学生の娘も私の仕事に興味を持ってくれています。ただ、今は私の父が幼い私に働く背中だけを見せていたように、彼らにはまだ何も教えず、自由にしていてほしいです。もし、この道に進むべき時が来たら、きっと私の働く姿から何かを感じ取ってくれるでしょう」。

 八代目が活躍している頃には、さらにグローバル化が進み、日本の武道が海外からより注目を集めているかもしれません。「『都城大弓』を通して、日本の武道の精神を国内はもとより、海外にもっと発信していきたいです。その時代に、「楠見蔵吉弓製作所」がどう進化しているか今から楽しみです」と、笑顔で語ってくれました。

 

 

<編集部コメント>

初代から積み重ねてきた歴史と伝統に敬意を払いながら、現状に甘んじることなく常に進化を求め続ける楠見純寛さん。仕事を語る口調はおだやかに、未来への眼差しは鋭く。お子さんたちが自然と父の姿を追いかけている理由が少しわかった気がしました。(N)

 

弓芯の火入れ作業。半年ほど乾燥させ、竹ヒゴは燃える寸前まで焦がして竹を強くする

 

煤竹弓をつくる上で必要となる、竹を室炉でいぶす作業。色がついたら洗う作業を1年かけて何度も繰り返し、徐々に美しい飴色に仕上げていく

 

完成した弓に弦を張り、弓力を計測。弓の長さと弓力の数値を目安に、使う人の身長や力に合わせて弓を選ぶ

 

製作所に隣接する「楠見弓道場早鈴館」。弓師の道に進んだ後、楠見さん自身も弓道を嗜むようになったそう

 

七代目・楠見蔵吉のロゴをあしらった楠見さんの作務衣。六つの小さな輪を包み込むように七つ目の輪が重なり、楠見家の系譜を表している

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