都城のソウルフード「雷々(らいらい)麺」。祖父の味を100年受け継ぎたい!と姉弟で暖簾を守る「あたりや」|宮崎県都城市ふるさと納税特設サイト

都城のソウルフード「雷々(らいらい)麺」。祖父の味を100年受け継ぎたい!と姉弟で暖簾を守る「あたりや」

 都城市の繁華街・牟田町(通称:むたまち)に隣接した中町に毎夜、お酒の後の締めを求めて人々が集う店「あたりや」があります。皆が“飲んだ帰りに無性に食べたくなる味!”と口を揃えるのが名物の「雷々麺」。少し太めのちゃんぽん麺にコクのあるピリ辛の餡をかけた、この店のオリジナル麺です。現在、暖簾を守っているのは三代目店主・坂元恭介さんと奥様の和美さん、恭介さんの姉・弥生さん。「祖父から父へと受け継がれた味を、なんとか次の世代にも残したいですね」と恭介さん。創業者である祖父、その味を発展させ、名物店主として知られた父、そして息子と姉。「雷々麺」をめぐる三世代のストーリーをうかがってきました。

 

物資がなかった戦後の日本を支えた
心温まる1杯からスタート

 「あたりや」は戦後間もない頃、恭介さんの祖父・龍雷(りゅうらい)さんが屋台からスタートしました。「物資も少なかった時代、祖父は低価格でしっかりと栄養がとれ、おなかにたまるメニューを提供したいと、野菜の餡をかけたうどんを出していたそうです。その後、二代目となった父がその味を受け継ぎ、うどん麺をちゃんぽん麺に、餡にも九州名産のさつま揚げや豚ひき肉を入れてピリ辛にするなどのアレンジを加え、現在の味を完成させました。その際、祖父の名前から一文字とって〈雷々麺〉と名付けたんです」と恭介さん。その後、昭和23年に龍雷さんは店を構え、“商売がうまく当たるように!”との願いを込めて「あたりや食堂」と命名(写真は創業時のもの)。当時はうどんやラーメン、丼ものなどを提供する食堂でした。

 

店を継ぎたくない!と上京。
しかし、帰郷後に思わぬ事態が

 現在、店の夜営業は21時からですが(昼12時〜14時も営業)、二代目・正美さんの時代はなんと深夜23時からの営業で、朝5〜6時まで賑わっていました。「自分が子どもの頃は、朝7時でも並んでいる人がいたくらい牟田町が賑わっていました。父は超マッチョで冬でもランニング一枚という出で立ち!出前も愛車・フォルクスワーゲンで届けていたので目立っていましたね(笑)。この辺ではちょっとした有名人でした」。なんともパワフルな名物店主・正美さんを慕うかのように店には人が集まり、連日大賑わい。坂元家の三人の子どもたちも店を手伝っていました。「姉はとにかくお客さんから可愛がられて、プレゼントをもらったりしていましたが、兄と僕にはそんなこともなく…(笑)。とにかく自分は酔っ払いの相手をするのが嫌でたまらなくて、絶対に店を継ぎたくない!と思っていました」。

 その後、兄の大吾さんが店を継ぐことになり、恭介さんは東京へ。運送会社に就職し、充実した日々を送っていましたが、身体が弱かったお母様からの勧めもあり都城に帰郷。「帰ったら何をしようかな?農業もいいな、餃子の移動販売もいいな、と思っていました」。しかし、ある日、兄夫婦が東京で「あたりや」を開くために都城を離れることに!姉・弥生さんは「家族全員びっくり!まさに青天の霹靂という感じでしたね。継ぐと言っていた大吾がいなくなってしまい、父と私だけになってしまったので、自然と家族の視線が恭介に集中しましたね(笑)」と振り返ります。迷う恭介さんでしたが、当時、お付き合いをしていた奥様・和美さんの「あなたがやるんじゃないの?」という言葉が背中を押し、店に入ることを決意しました。

 

何をしても父と比べられ、凹む日々。
愛の鞭と受け止め、店主として成長

 当初、店を継ぐことが本意ではなかった恭介さん。否応なしに店を手伝うようになった日々はまさにプレッシャーの連続でした。「店が父のファンの方ばかりだったのでかなり鍛えられました。自分は社交的な父と違って人見知り。勇気を出してお客様に話しかけても〈お前じゃダメ。親父に会いにきたんだから〉と言われましたね。料理も父が仕込んでくれたものを出しても〈親父と全然味が違う!〉と(笑)。父は時々、気まぐれで餃子を作っていたのですが、いつも店にないことからいつしか“幻の餃子”と呼ばれるようになってしまい、自分が同じレシピで毎日つくっていたら〈親父の餃子はうまくて、いつも売り切れていた!〉と言われる始末(笑)。もう、毎日凹んで愚痴ばかりこぼしていました」。そんな恭介さんに父・正美さんは「それは愛の鞭。いろいろ言ってくる人がお前を成長させてくれるから」とアドバイス。「言われてばかりじゃダメだと思って言い返したりもしましたね。でも、最後にはいつも“いろいろ言いながらも来てくれてありがとう”と伝えるようにしていたら、徐々に文句を言う人はいなくなりました」。こうして、徐々に正美さんに代わり、三代目として恭介さんが「あたりや」の顔になっていきました。

 

食材や調味料も都城産。
この味を残したいとレトルトも開発

 鶏ガラスープをベースに豚ミンチ、さつま揚げ、玉ネギ、ニラが入った「雷々麺」。豚ミンチや野菜、味の決め手となる醤油には都城産のものを使っています。「東京の兄の店にも醤油やさつま揚げを送っています。この味は都城でしか出せません。四代目がどうなるのかはわかりませんが、自分が引退しても祖父の代からの味は残しておきたいと思い、レトルトの開発を進めました」。醤油の製造元である「ケンコー食品工業」とともに何度も試作を重ね、餡のレトルト化に成功。現在では都城市内のさまざまなスーパーで販売されています。

 「祖父や父の味を受け継ぎつつ、この店を“自分が行きたくなる店”にしていきたいですね。今、新メニューとして焼売を考えています。セイロで蒸し立てを提供するつもりです」と恭介さん。弥生さんも「店は今、創業74年なので、少なくとも100年までは続けたいですね。あと26年なら自分も頑張れるんじゃないかと」。家族がひとつになって伝統の味を守り続ける「あたりや」。今夜も左党たちが最後にたどり着く店として、賑わいをみせていることでしょう。

 

 

<編集部コメント>

「祖父には可愛がってもらいました」と恭介さんと弥生さん。話の中で何度も「祖父の味を覚えていて、その味を残したい」という言葉があり、おふたりの家族愛が伝わってきました。今度は私も飲んだ後に伺ってみたいな〜(N)

 

お母様が体調を崩してお店に出られなくなったことをきっかけに会社勤めをやめて「あたりや」に入った弥生さん。「私は本当におじいちゃん子だったんです。保育園のお弁当も祖父が作ってくれました」

 

「雷々麺」は人気番組「マツコの知らない世界」でも紹介された。放送後は県外からも客が殺到。開店と同時に満席となる日が1週間以上続いた

 

恭介さんを中心に奥様の和美さん(写真左)、姉の弥生さん(写真右)。3人で仲良く店を回している

 

フードメニューは「雷々麺」と「ラーメン」「餃子」のみ。今後は焼売も登場予定

 

「雷々麺」の餡「雷々餡」は都城市内のほか、宮崎市内のスーパーでも販売されている。都城市ふるさと納税の返礼品としても人気上昇中!

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