【都城大弓】弓師を訪ねる 第2回 横山黎明(れいめい)・慶太郎さん「親から子へ、技を継承」|宮崎県都城市ふるさと納税特設サイト

【都城大弓】弓師を訪ねる 第2回 横山黎明(れいめい)・慶太郎さん「親から子へ、技を継承」

 「都城大弓」の伝統工芸士を訪ねるシリーズ、第2回目は市内唯一の親子職人、横山黎明さん・慶太郎さんです。一子相伝で受け継がれる弓づくりの技術。「横山黎明弓製作所」では日々、黎明さんが慶太郎さんにその技を伝えています。また、慶太郎さんは一昨年「都城弓製造業協同組合」の一員として「都城大弓」の商標登録を申請し、登録を受けるなど、「都城大弓」の発展にも寄与しています。職人の厳しい世界ではあるものの、親子仲がよく、明るい雰囲気の横山家。師匠でもある父・黎明、未来へ文化をつなぐ息子・慶太郎さん、「横山黎明弓製作所」には真摯に弓づくりに向き合うお二人の情熱が溢れていました。

 

海外の武道愛好家たちと出会い、
弓師の道への思いを新たに

 横山家の弓師としての歴史は長く、一番古い作業記録として1917年(大正6年)のものが残っています。「あくまで記録なので、ご先祖様はそれ以前からやっていたのかもしれません。弓師の家に生まれたので、私自身はこの道に進むことに迷いはありませんでした。大学は東京でしたが、あえて夜間部に行き、昼は弓の販売店で働いて、経験を積みました。今は職人が最後まで仕上げますが、当時は販売店にも弓師がいて、最後の仕上げは店で行っていたんです。振り返ればもう35年、弓一筋に歩いてきました」と黎明さん。息子の慶太郎さんもお父様同様、幼い頃から後継者になるものだと思っていたそうです。しかし、大学卒業後「一度は外の世界を見たい!」とワーキングホリデー制度を利用して2年間オーストラリアへ。「現地では剣道や柔道などを嗜む外国人との出会いもありました。弓道の話をすると『もっと武道のことを教えてほしい!』と興味を持たれ、それが縁でその人の家に住ませてもらったりしたこともあったんですよ。改めて日本の武道の素晴らしさに気づかされましたね。これはもう、日本に帰っていい弓師にならねば!と思いました」と慶太郎さん。帰国後はすぐにお父様に弟子入りし、雑用からはじめて現在6年目。「一人前になれるには10年くらいかかると言われているので、折り返し地点を過ぎたところでしょうか。まだまだですが、日本の伝統技術を担える喜びを感じながら学んでいます」。

 

海外進出も視野に、商標登録し
「都城大弓」をブランド化

 海外での経験を経て、弓師としてのスタートを切った慶太郎さん。徐々に海外に弓道愛好家が増えてきたことも鑑み、そのブランド価値を守りたいと、「都城大弓」の商標登録を行うべく組合に働きかけ、自ら動いて登録を得ました。「フランスやドイツなど、歴史が長い国には武道愛好家が多いです。向こうでは弓道なら弓道だけ、剣道なら剣道だけという感じではなく、ひとつの『武道』として弓道・剣道・柔道、全部やる人も多いんですよ。海外でも都城市が竹弓の産地であることは知られていて、わざわざスウェーデンから来た方もいました」。「都城大弓」が商標登録され、話題になったことで弓道から一時離れていた人が興味をもって再び稽古を始めるなど、徐々にいい影響もでてきたのだとか。ちなみに黎明さんは弓道5段の腕前、慶太郎さんも嗜んでいます。「やはり自分で引いてこそわかることもたくさんあります。もっといい弓を作りたい!とモチベーションも上がりますね」と慶太郎さん。つくって、使って、またつくる。現状に満足せず、常に品質の向上を目指すのが横山家らしさです。

 

鹿の皮を溶かし、接着剤をつくるなど
先人の知恵を守り続ける

 弓の形を決める「弓の打ち込み」。弓芯と竹を「鰾(にべ)」と呼ばれる接着剤を使って圧着し、くさびを打ち込みながら反りをつけ、形をつけていきます。「この工程は主に父が担当しています。絶妙な力加減が必要で難を極める作業です。接着剤が硬化する時間は20分程度。この間、父は電話がなっても、お客様が来ても手を離すことなく集中しています。私もやってみるのですが、父に直されます」と慶太郎さん。「教えるのは本当に難しいですね。自分と息子とでは力加減も違う。こればかりは感覚で覚えてもらうしかないんです。とにかく一緒にたくさん作っていって、習得してもらうしかない」と黎明さん。日々、切磋琢磨しながら、技術が継承されているのです。ちなみに「鰾」とは鹿の皮を薄く削り、2日間ほど煮溶かしてつくった昔ながらの接着剤。「鰾」でつくった弓は「鰾弓(にべゆみ)」と呼ばれ、引いた時に独特の柔らかさがあり、上段者に好まれています。「鰾」をつくるのも弓師の大切な仕事でその製法は秘伝となっています。

 

使い勝手の良さを優先し、
弓道家の信頼も厚い

 ずらりと並んだ大弓。コロナ禍で学生の部活が休みになったり、弓道家たちが店や弓道場に行くことを自粛したりという状況になったため出荷が滞り、取材時には多くの弓が揃っていました(普段の倍くらい!)。よく見ると、弓の長さはバリエーション豊富。これは使う人の手の長さによって、弓の大きさが決まるため。「並寸」と呼ばれる2m21cmのモノを基準に、最小「7尺」から最大「8寸伸」(身長2m用)まで多彩な長さの弓が作られています。「『8寸伸』は主に外国人のお客様向けです。それ用の竹を探すのもなかなか大変なのですが、なんとかぴったりの弓を使ってもらえたらと」。このビッグサイズを作っているのは、都城でも横山さんのところだけです。

 また、弓道家の使い勝手を考え、「裏反り」(床に弓を置いた時の弓の曲線の頂点までの長さ。浅いと矢の勢いが弱くなる)の調整にこだわるのが横山家らしさ。じっくりと時間をかけて安定した形にし、長く愛用してもらえるよう心がけています。「横から見た時の曲線、立てて見た時の弓の曲がり具合、弦(つる)弓の幅に対して右側に張られているかなど、細かなチェックをしながら品質を守ります。手元のわずかな誤差が、的に当てられるかを左右するので、調整は妥協できません」と黎明さん。そんな妥協ない姿勢が弓道家たちを魅了しています。

 日々、弓と向き合いながら親子で「都城大弓」の技を磨く横山さん親子。後継者不足といわれる業界の中で、これからもその伝統を守り続けてほしいものです。

 

 

<編集部コメント>

お父様の黎明さんはその昔、サーフィンやサッカーを、息子の慶太郎さんはバレーボールを楽しんでいたというアクティブな一面も!系譜が大切な弓師の世界。慶太郎さんのふたりの息子さんがいつか「黎明」の屋号を継ぐ日がくるかもしれません(N)

 

工房の外には竹がずらりと干されている。約5ヶ月ほど干した後、火にかけて油を抜く

 

「ホタテ」と呼ばれるカンナで竹を削り、滑らかにしていく。手に持つ部分を厚く、上下に行くにつれ薄く仕上げる

 

これが鹿の皮。じっくり煮て接着剤をつくる。柔らかい鹿皮は弓のグリップ部分にも使われる

 

表面に煤をつけた内竹を使用した「煤竹弓」を作るため、室炉の中には12段にわたり、竹が並んでいる。これを出し入れし、煤を払ってはまた燻すという作業を繰り返す

 

弓に漆を塗るのも弓師の仕事。都城でこの技術を持っているのは黎明さんだけ

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