【都城大弓】弓師を訪ねる 第4回 南﨑寿宝(みなみざきじゅほう)さん「フラットな心で弓と対峙する」|宮崎県都城市ふるさと納税特設サイト

【都城大弓】弓師を訪ねる 第4回 南﨑寿宝(みなみざきじゅほう)さん「フラットな心で弓と対峙する」

 「都城大弓」の4人の伝統工芸士を紹介する「弓師を尋ねる」シリーズ第4弾。シリーズの最終回を飾るのは、「南﨑寿宝弓製作所」4代目・南﨑寿宝(みなみざきじゅほう)さんです。南﨑家の弓師としての歴史は、南﨑寿宝さんの大叔父にあたる初代・南﨑美利(みとし)さんが、「都城大弓」の祖、4代目・楠見蔵吉さんに弟子入りしたことから始まります。約100年にわたり守り継いできた南﨑家の歴史と美学。南﨑さんの弓づくりの日々に迫ります。

 

久々に会った父の姿から
職人の道に進むことを決意

 大正11年の創業以来、「深い裏反り」と「扱いやすさ」に重きを置き、「都城大弓」の歩みを支えてきた南﨑家。現在当主を務める、4代目・南﨑寿宝さんが、弓づくりの世界に入ったのは、25歳の時です。

 「大学卒業後、建築資材の営業職として福岡で働いていました。ある日、福岡に仕事で来ていた父と一緒に飲みに行くことがあり、その時ふと父の背中を見て『小さくなったな』と、どこか寂しさにも似た感情が湧き起こったんです。その後、将来についてしばらく考えた末に、やはり父や祖父たちが培ってきた技術を受け継ごうと、帰郷を決意しました。そこから私の弓師人生が始まったわけです」と南﨑さん。

 一子相伝で受け継がれることも多い「都城大弓」の世界ですが、親から子へ技術を伝えるのは、あくまで子が親に弟子入りしてから。南﨑さんも弟子入り前にお父様から弓づくりについて教わることはなかったそうです。「弓づくりの工程はとにかく多いため、できることを少しずつ増やしながらの修業となりました。すべての工程を自分一人で行い、1張を完成させることは2、3年あればできるとは思います。ただし、そこから何張もつくり続けていかないと弓の美しさを左右する“勘”が蓄積されません。ですので、最初の10年は苦労しましたね」と振り返ります。

 弓師ならではの“勘”が備わることで、それ以前は弓の形をぼんやりとしか捉えられなかったものが、今では細部の変化や個性が一目でわかり、自然と目が肥えてきたといいます。さらには「都城弓製造業協同組合」があることで、弓師同士で意見交換ができ、客観的に自身の弓について評価ができるようになったとか。「10年ほど前に父の名を継ぎ、現在は弟子や職人は取らず、全工程を一人で行なっています。そのため、仕事中は常に自分自身との戦いです。クオリティ維持はもちろん、その日を頑張るか怠けるか、精神面も同じくですが(笑)」

 

竹弓は引いて育てるもの。
鰾(にべ)がそれを可能にする

 「都城大弓」は竹弓、鰾(にべ=鹿の皮からつくる接着剤)を使った竹弓、カーボン内蔵の竹弓に大別されます。なかでも、南﨑さんが強いこだわりを見せるのは、昔から南﨑家でつくり続けている鰾弓です。「鰾弓は、合成接着剤を使った竹弓と違って貼り合わせ部分をがっちりと固定していないので、弓の引き味がやわらかくなるという特徴があります。梅雨や夏など高温になると接着部分がゆるくなり、貼り合わせた部分にズレが生じる場合があるため取り扱いは難しいですが、それ以上に価値も魅力もある。さらに、合成接着剤など工業製品には寿命がありますが、鰾には寿命がありません。上手に付き合っていけば、長いもので約100年現役のものもあると聞きます。竹弓は引いて育てていくもの。どういった使い方をするか、その寿命は弓の射手次第です」。

 

一つとして同じ弓はない。
平常心を持って弓に挑む

 「都城大弓」は長さ、弓力と規格があるものの、つくり手によって弓へ託すこだわりや美学は異なります。この道20数年の南﨑さんに、今思う弓づくりへのこだわりを聞いたところ「フラットな気持ちで弓と向き合うこと」とひと言。「いい意味で淡々と。平常心の時と、少しでも苛立っている時とでは力の入れ具合が変わってきます。その力の入れ方一つで、弓の形が変わってしまいますし、ミスの原因にもなります。常に心穏やかに弓と向き合うことは弓師として肝要なことです」。

 すべて手作業でつくられる「都城大弓」。つくり手の手の長さや大きさ、握力も違うため、この世にふたつと同じ弓は存在しないと言われています。「祖父や父と同じようにはつくれても、同じものはつくれません。自分がつくってきた弓でも、これは同じだと言えるものはない気がします。竹は自然素材で1本ずつに個性があるので、今でも貼り合わせの作業では細心の注意を払います。加えて、うちの弓は他の製作所の弓と比べ、裏反りが約50㎝と深く、反発力も強いため、最後の弦(つる)をかける作業もとても神経を使うんです」。素材の特性を見極めながら、この世にふたつとない弓をつくる。それが弓師として難を極めることでもあり、やりがいでもあるのです。

 

次代へ継承するために、
まず自分が続けていくこと

 これからの展望として南﨑さんが語っていたのは、「体を大切にして、長く弓師を続けていくこと」。弓づくりは体力的にとてもハードです。竹を削る作業一つとっても、片膝をついて足で竹を固定しながら削るため、腰を痛めてしまう職人も多いのだとか。「私を含め、整体院に通う職人も多く、みなさん満身創痍です(笑)。長くこの仕事を続けていくためにも、体調管理は大切な業務の一つだと思っています」と南﨑さん。以前はほぼ休みなく働いていたものの、体調面を考慮し、最近は土日に休みを取って趣味のサーフィンを楽しんでいるそうです。「サーフィン歴は弓づくり歴と同じくらいで、とてもいい息抜きになっています。楽しいですね」と、笑みがこぼれます。また「長く続け、後世に南﨑家の弓を残していきたい」とも。その言葉を聞きながら、「都城大弓」の歴史と伝統を継ぎ、後世に伝えていくという責務を全うする南﨑さんの後ろ姿を、とてもたくましく感じました。

 近年、海外でも徐々に人気が高まり、4年に一度世界大会も開かれるようになった弓道。その追い風を受け、海外でも「都城大弓」の愛用者が年々増えているといいます。この都城の地で綿々と受け継がれてきた匠の技と伝統が、さらに世界で脚光を浴びる日も近いかもしれません。「都城大弓」が伝統文化という枠組みを超え、都城、そして日本全国、さらには世界中に、誇りと愛着をもたらす存在であり続けますように。

 

 

<編集部コメント>

営業マンを経て職人の道に進んだ南﨑さん。ご本人が語る、仕事に対するフラットな気持ちは、さまざまな経験を経たからこそ気づけた姿勢なのかもしれません。つくり手の心さえも弓の形に映し出される繊細な世界。日本の武道を道具から支える、「都城大弓」の奥深さを感じました(N)

 

「南﨑寿宝弓製作所」の看板猫・銀ちゃん。人懐っこい性格で、取材中も南﨑さんのそばを離れず、癒しパワー全開!

 

南﨑さんのお父様であり、先代の南﨑寿宝さん。時代は変われども、弓づくりの作業風景は変わらない

 

左は「南﨑寿宝弓製作所」の主力の一つ、煤竹弓に使われる竹。1年から1年半かけて室炉の中で燻し、美しい飴色に仕上げる

 

竹を削る際に使う工具は、弓の美しさを左右する重要なもの。先代から受け継いだ工具はまだまだ現役

 

10年ほど前に新設した「南﨑寿宝弓製作所」。2階部分には、弓の材料などの隙間を縫って、アクティブな南﨑さんの趣味のアイテムがちらほら

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